合戦地として(福田川流域)




 平安時代、福田川流域で「名谷の源平合戦」が行われました。

 名谷の石水寺には当時の戦死者を弔う石塔が500基以上も残っています。
 また平清盛の孫師盛(もろもり)を弔ったという石板仏があり、これは神戸で最古の石仏だと考えられています。

源平の碑
(石水寺の平清盛の孫師盛 石板仏)




 他にも今は石碑だけとなった「平重衡とらわれの松跡」も源平合戦を偲ばせる史跡です。


とらわれ松跡
 「平重衡とらわれの松跡」伝説の概略

1184年のこと、生田の森の副大将に任ぜられた平重衡は、攻めてくる範頼軍をばったばったと投げ倒していた。
 しかし多勢に無勢、ついに力尽き海に留めていた味方の船に乗り込み退却しようとしたとき、敵方の児玉党の本宗家5代目に馬を射られて捕らえられてしまった。そのときに無念の涙を流しつつ腰掛けた松こそが「平重衡とらわれの松跡」なのである。

 ちなみに平重衡の意気消沈した姿を見かねた村人たちが濁り酒を差し出すと、彼は「ささほろや 波ここもとを 打ちすぎて すまでのむこの濁酒なれ」と一句詠んだという。





 さらに敦盛塚や安徳帝内裏跡、源 義経が必勝祈願のために立ち寄って弓を引いたという奥畑大歳神社など、数々の史跡が現在まで伝承されています



 *ちなみにこの源平合戦の折、野戦があったところで戈を田の中で交えたということから

 「戈を田の中で交えた川」 → 「戈田川」 → 「福田川」

 となったという伝説もあります。